私だけのささやかな楽しみ
2006年9月27日 雑記小さいことですが。
番組改変期なのでよく遭遇してて思うことは、
「大して熱心に見てたわけでもない最終回をテレビをつけてて偶然見るとなんか得した気分」を得るということです。番組終了の挨拶とかキャスター降板の挨拶とか聞くと、別に今まで見てたわけでもないのに、
「よくがんばった、残念」という今まで熱心な視聴者だったかのような錯覚。終わるって言う挨拶がなく終わっちゃうと気持ち悪い感じです。
さらに事前にテレビ欄に(終)と書いてあるのをみつけると万難を排してみたい気分になり、
「どっちの料理ショー」最終回は母親の渡鬼を押しのけて「最後の挨拶だけ見せて」
と、無理やり最後の5分のみ見ました。
母が
「あんた、この番組すきだった?」
と聞くので
「嫌いよ、私の嫌いなポリクリの班員たちが毎週、くだらなく話してて見るたびいらいらしてたし、好かんね。でも最終回は見たい」
と答えたところ、やっぱり変な顔をされました。
最近、車でラジオを聴くのですが、たまたま電波が悪くて、曲名やアーティスト名が聞こえない曲を帰ってからネット検索で記憶の断片から見つけられると幸せ。
先日、ラジオから声はケミストリーっぽいけど、曲調がいつもと違う系統で、なんだか、コーラスの声が槇原っぽい、と思ったら、そのとおりであることがわかり、大満足しました。
で、夫に報告すると、
「インターネットで何してるのかと思ったらそんなこと!」と鼻で笑われました。
番組改変期なのでよく遭遇してて思うことは、
「大して熱心に見てたわけでもない最終回をテレビをつけてて偶然見るとなんか得した気分」を得るということです。番組終了の挨拶とかキャスター降板の挨拶とか聞くと、別に今まで見てたわけでもないのに、
「よくがんばった、残念」という今まで熱心な視聴者だったかのような錯覚。終わるって言う挨拶がなく終わっちゃうと気持ち悪い感じです。
さらに事前にテレビ欄に(終)と書いてあるのをみつけると万難を排してみたい気分になり、
「どっちの料理ショー」最終回は母親の渡鬼を押しのけて「最後の挨拶だけ見せて」
と、無理やり最後の5分のみ見ました。
母が
「あんた、この番組すきだった?」
と聞くので
「嫌いよ、私の嫌いなポリクリの班員たちが毎週、くだらなく話してて見るたびいらいらしてたし、好かんね。でも最終回は見たい」
と答えたところ、やっぱり変な顔をされました。
最近、車でラジオを聴くのですが、たまたま電波が悪くて、曲名やアーティスト名が聞こえない曲を帰ってからネット検索で記憶の断片から見つけられると幸せ。
先日、ラジオから声はケミストリーっぽいけど、曲調がいつもと違う系統で、なんだか、コーラスの声が槇原っぽい、と思ったら、そのとおりであることがわかり、大満足しました。
で、夫に報告すると、
「インターネットで何してるのかと思ったらそんなこと!」と鼻で笑われました。
コメント