別れの季節

2006年3月30日 雑記
春は移動が多い季節です。うちの妹も弟も4月で移動みたいです。
とはいえ、私の移動はなぜか、いつも、夏なので、あまり関係ないので、見送るばかりですが、春はとにかく移動が多いので、この時期歓送迎会が続きます。

基本的に私は飲める人なのですが、当番が当たっている日だと夜中に呼ばれたときに、車運転しないとたどり着かない病院なので、飲まずに飲み会です。これが、つらい。
いつも飲めないので、飲まない夫などは飲まなくてもある程度のテンションを保てるのですが、私は飲まないと、テンション保てないですね。特に義理の飲み会とかは。

あと、最近、送別される人にアルバムとかを贈るのに写真をとって、一言、みたいなことがあるのですが、あれって、なかなかいい言葉が浮かばないです。卒業アルバムの寄せ書きもたいしたこと書いてないし。
結局無難なことを書いてしまいました。

アドバイス

2006年3月29日 雑記
私は人に注意されたり、怒られたりするのが大嫌いです。好きな人はいないと思うけど。両親に色々言われるとさっと血が騒ぐのが分かるし、夫に言われれば、手が出るし、私はかなりとんでもない人なのです。
しかし、一人だけ、アドバイスされても冷静に聞ける人がいます。
それは母の姉に当たるおばなのですが、このおばさんに言われると、なるほど、そうかも。と思ってしまうのです。

たとえば、私の大嫌いな義理の両親との付き合いも、
「会いたくないのは分かる」
というスタンスで、話を聞いてアドバイスしてくれるため、結局、
「まあ、1年に一回くらいは営業だと思っていってくるか」
と思えるわけです。

先日家の設計が完成したのですが、私としてはなんとなくしっくりしてない場所もありつつ、夫は自分がほとんど住まないので、興味は風呂と、自分の部屋なので当てにはならず、親は少し、出資してくれるから親の意見は聞かないといけないけど、私は聞きたくないという板ばさみの中、不満の残る内容だったのですが、おばさんが設計を見て、少し、問題提起してもらったおかげで、よりよいものに。

少し、離れている第三者の立場からの意見というのは有効なものだと実感。
疲れてるときに必ず見る夢っていうのがあって、最近そればかり見ます。受験生で、冬休みぎりぎりなのに、数学の二次試験対策を全然してない、とか、受験生の頃の夢を繰り返し見ると、疲れている証拠。その夢を立て続けに見てはおきる生活だったのですが、昨日の夢はすごくくだらなくて、劇団ひとりと、レギュラーと中川家が出てきました。ストーリーはハチャメチャで訳分かりませんでしたが、この人選が意味不明で、起きたときに無性に笑えました。どうせなら、次長課長の井上君とかに出てほしいわ。


少し、いそがないといけない仕事があるけど、いいアイディアが浮かばなくて、しかも、ちょっと慢性疲労な感じ。
こういう日はサクッと寝ることにします。
おやすみなさい。

溺愛

2006年3月27日 雑記 コメント (2)
先週末、母が実家の用事でいなくて、父が一人だったため、夫も入れて計3人で夕ご飯を食べておりました。
話題は妹の結婚。

私「結婚式、何着ようかなあ、夏はきっと避けてくれるよね」
夫「でもまだ決まったわけじゃないし。」
父「そうそう、まだ結婚するかどうかも分からないし。」

私「@@ホテルだとよいね、あそこはご飯がおいしいらしいし」
夫「まだ決まってないし」
父「破談になるかもしれないし」

この繰り返し。
結婚式当日までこの調子で、きっと、当日は後方テーブルで弟ふくめ、男子3人が号泣していることでしょう。

先日、妹の彼が家に来たときも
「**(妹)は周りの皆を幸せにしてくれるんです、だから、あなたきっと幸せになるでしょうね」
と言い切った父。うなづいた夫。見事な溺愛。  
衣替えをしてたら、ほとんど着てない新品同様の服がざくざく出てきた。
スペースがないので夫の引き出しを空けたら、そこにもしばらく着てないし、これからもおしゃれな彼はきないであろう、くたっとしたTシャツやポロシャツが出てきた。

捨てたい、捨てたい。

でも捨てられない。

夫の引越しもあるし、もしや、義母が手伝いに踏み込んできたときように片付けるにしてもスペースなし。でも捨てられない。

引越しのたびに連れてきているダンボールもあるし。
いつのまにか、なくなってくれてたらいい、そういうダンボールは。自分では捨てられないので。

衣替え

2006年3月25日 雑記
仕事がはかどらないとき、現実逃避したくなる。
そして私は夜中にも関わらず、衣替えをしてしまった。着てない服がたくさんあるなあ・・・

明日こそ、頑張る。
春らしくなりました。
私の仕事時の服装は1年通せば、パンツとスカートが半々、といった所でしょうか。
でも冬のスカートはデザイン的にかわいくないのが多く、しかも、丈が中途半端で白衣から出る長さがダサくなるものが多いので、パンツが若干多いかも。

スカートの柔らかい素材のふわふわっとしたスカートが割と好きで、春はそればっかりです。

それで年間通して、半々になります。

ふわふわスカート、すそがゆれる感じのスカートを見るたびに、なくなったあの子といっても、それは人ではなくて、かなり気に入っていたスカートで、裾がひざの辺りで切り替わっているちょっとデザインの良いもの、を思い出す・・・

ポリクリで外科を回っていたとき、オペに入らなくては行けなかった私は女子更衣室に入り、着替えをしていたら、その日は女子の多い班が他の外科系を回っていたらしく、もともと6個しかない、看護師以外ロッカーが全て埋まっていた。
仕方ない、ということで、ロッカーにあぶれた数人で、服をロッカーのそばにたたみ、オペに入った。

4時間後・・・・

着替えようと更衣室に入ると何か違和感。
近づいて洋服を見ると

「私のスカートだけがない」

ストッキングも、ニットもそこにあるのに私のスカートだけがない。
他の人の服はちゃんと一そろいあるのに。

私はあまりのことに涙が出てきました。
その日はとりあえず、服に着替えた一番近い家の子が洋服を取りに帰ってくれて、それを借りたのですが、もちろんそのスカートが出てくることもなく。

それから、女子ロッカーは同じ班の女子が複数で共有するように、といわれたのですが、
そもそも、
「もっとロッカーが多ければ」問題なかったのでは?
かなり今思い出しても腹が立つ。

結婚

2006年3月21日 雑記
日付変わって、本日、妹とその彼がご挨拶に来るそうです。
出会ったのがかなり前とはいえ、付き合い始めて、2ヶ月弱での結婚話。もちろんそんなに早いので出来ちゃっているわけでもないのですが、どうしても結婚させたくないであろううちの夫(妹を溺愛)は
「本当に、好きなのか。結婚に逃げたいだけなんじゃない?嫌いではないけど、そのうち好きになるかな・・・と思ってするんじゃないの」
と言い続け、うるさい。

妹は妹で
「私は専業主婦になりたい、姉ちゃんには怒られるかもしれないけど」
などというので、
「専業主婦全般が嫌いなんじゃなくて、職務を全うしてる、うちのママみたいな主婦のプロはいいのよ、ちゃんと夫の世話してない主婦もたくさんいてそういうやつが私は嫌いなの。頑張りなさい。パパやうちの夫みてたら分かると思うけど、何でも約束してたことがちゃんとできるわけではない職業だから、そういうので寂しいとか、わがまま言わないよね」と言ったら
「2人じゃ間が持たないからさっさと子供を、2,3人産もうと思ってる」
と言ってました。
これも「専業主婦になりたいだけなの?」と夫の引っかかるポイント。「2人じゃ間が持たないってどういうことよ、本当は好きじゃないんじゃない」と。

とにかくうるさい。
「見合い結婚とかは最初からものすごく好きってわけじゃなく結婚するんでしょう。
本当に好きじゃなくても、結婚してだんだん好きになってそこそこ幸せにしている人もいるし、本当に好きな人と結婚しても別れる人もいるんだから、本人の好きなようにすればいい」
と私は思うので夫には今日会ってもいらないことを言わないようにしっかり指導中です。
見てみたいな、相手の人。

勉強

2006年3月17日 雑記
結婚式の勉強を妹の代わりに。

というのも、妹と、その夫になる予定の人はかなりののんびり屋。今年の秋には結婚式したいね、というばかりで、お互いの親に会っているわけでもなく、日取りさえ決まっていないのです。
あと半年かあ・・・
早い人は1年前からやってるはずなのに。

相手が結婚情報マガジンを買うのが恥ずかしかったらしく、妹が買ってもって帰っていたのですが、母とそろって、何がどこに書いているか分からないというので、目次をみて、二人が見るべきページをマーク。

そうすると、
今からでも秋の挙式に間に合う!という今まさにぴったりの企画ページを見つけ、そのとおりにしなさい、と指示。
「お互いの親にお互いの存在を言って、既に了承はあるよなので、実際互いの家に訪問しなさい、それは今月中に。」
「その時に、両家お食事会の段取りを決めておきなさい」
「結納をその時にかねるなら、本当に結納するか、指輪と記念品の交換にするか」
「食事会にするにしても、どこでするか、兄弟まで呼んでカジュアルにするか、決めておきなさい」

ついでに
「姉ちゃんが(私)出席してみたいホテルのブライダルフェアがあるからデートがてら、冷やかしてきなさい」

改めて国内結婚披露宴が出来そうな勢いで知識が身についていきます。

結婚情報雑誌を見てて思ったこと、私、この手の雑誌に「挙式報告」みたいな感じで1ページ載せていいですか、と旅行会社の人に言われ、載ったのですが、今考えると恥ずかしいわあ・・・あの雑誌がどこにいったか、なぞですが。

進路

2006年3月15日 雑記
ついでに思い出しがてら大学入試のことを。

うちの女子校はいまでこそ、進学校になっているようですが、昔は「良妻賢母」(古っ)を育てる学校だったわけです。家庭科の授業かなんかで、野暮ったいおばさん先生が
「女性はただ子供を生み、育てるのが仕事です」
というのを声高にいい、学校が嫌いだった私は、
「絶対、結婚なんかしないし、子供も要らない。ひとりで生きてけるようになってやる」と息巻いて授業はちゃっかりうけ、家庭科のテストにも「女性のしごとは」・・・・・と渾身の模範解答を書いて、内申点を稼いでいる要領よい子でした。

「医学部に行きます」と高2の進路わけのときに言ったら、
「特別推薦があるのよ、聖○○(西川史子センセの母校です)なんてどう。」
などと、進学指導の先生が言う。当時開業してまもなく、お金がとてもじゃないけど、私立に行ける状態ではなかったので(しかも、そんな高そうな所)
「国立にします。どこでもいいので。できれば新幹線が通っている所を狙いますけどあと、総合大学にします」
進路指導が
「うちからは単科に1年に1人入るくらいだし、難しいから、国立医学部は。私立も考えておきなさい」
といわれるのを振り切り
「国立理系コースにします」
とコース決めをしたのです。
当時は200人いて、私立文系が100、国立文系が50、私立理系15、国立理系35くらいの割合で、英語教育に力を要れ、大学進学実績のトップに国立や、関西の有名どころ**名現役合格を謳っていた、わが校なので、英語の先生には国立理系というだけでいびられたような気がするなあ・・・
英語と、数学はテストの点数による、能力別だったので、トップクラスは英語は文系が多数の中、理系で入ってると分からないことをイジイジ追求されるんです。あー今思い出してもムカムカする。

あと、
「うちは物理が弱いから生物にしなさい」
といわれ化学生物にしたら。生物の先生の授業が超眠くて、テストも受験向きじゃないし、いらいらしてました。

数学はそこそこいい先生で、化学、国語、日本史は科目的に好きだったのと先生にも好かれてたのでストレスなしでした。

(結局、センター試験はこのイメージどおり、英語と生物が8割なく、足引っ張られました。やはり、好きになれないものはしょうがない。)

高2から新幹線の通る、総合大学に目標を定め、模試の判定はBが最高くらいでしたが、目標変えることなく、
こんな感じで高3になり、回りが推薦を受け始め、調べたら、志望大学にも「一般推薦」があることに気づく。
内申はそこそこ稼いでいるし、センターと、面接と小論で1月末に試験があって前期までにうまくすれば解放される、と思い、そこから、Z会の小論文をやり始め、小論テクを磨く。
2次試験の数学は伸び悩み、高3になってからはC−D判定が続いていたので、さすがにうちの親が、
「私立受けなさい」
と比較的安い私立を受けることにしておきました。それでも、ひとつはAーBでもうひとつはBーCだったので、学校の担任が最終面接で
「推薦って言ってもうちは実績がないから、多分駄目よ。@@医大(全国的にもお値段高めかもだけどうちの卒業生はよくそこを受ける)も受けなさい」
と言ってきました。成績もいまひとつからっとしないし、いらいらしてた私は
「先生、受けろ言って、多分あそこなら受かりますけど、その後のわたしの人生や学費を払うのが先生ではなく私の父母ということをご存知ですか?推薦だって誰かが一番初めなんだからわからないでしょう」
と言い放って、面接を終了。

そんな感じで受験シーズンを向かえ、センターは調子の良かった英語にも最後に裏切られ、そこで、-30点の喪失。
あれだけ啖呵切ったのに、私、国立駄目かも、私立かも。
うっすら見える内申書は英語と生物がポコっと悪いし。

と思っていたら、推薦にはなぜか受かってしまって、助かりました。

合格したら謝恩会で次々に
「やっぱりあなたなら受かるとおもった」
みたいなことをいわれ、手のひら返した態度の先生方にとても腹をたてた若い私。

ただ、今は別に理系と文系どっちがいい、とかじゃなくて時代によったり、人の価値観によっていろいろ考えていることがあるから尊重してほしいと思っています。結婚するつもりのなかった私が結婚しているわけだし。

あの学校だって、以前は文系多数だったのに、2つしたの妹のときは理系が2クラスとなり、医学部の合格も二桁に、一番下の妹のころは3クラス分が理系だって言ってました。そして受験の合格実績も関東や関西の私立ではなくなって医師薬系@@名合格!が踊り、英語の時間に国立理系をいじめてた英語教師の娘も医学部にいき、家庭科の先生も「女性の仕事は子供を生み育てることだけです」とは言わなくなったようです。
人生いろいろ、つじつまがあわないこともたくさんあるさ、と大きく思えるようになりました。13年経ってやっと大人。
心狭かったなあ、18歳の私。
ここ数日、公立高校入試の発表があり、しりあいのお子さんが第一志望の公立高校に入学したようです。
発表が2時で、滑り止めの私立の入学金を納めるのが、3時だから不合格なら即効振り込まないといけない・・・といわれてたので、そんなドキドキもなく、良かったです。

私の入試は中学と大学入試です。
中学は、日にちずれはありますが、

1月末第4志望試験(学費たかい、超お嬢様、お坊ちゃま学校)

2月1日第2志望試験(国立)

2月3日第3志望試験(カトリック系女子高)と、同日第2志望の試験合格者による、抽選(代理人可で父が引き不合格)

2月6日第1希望試験(国立)

2月12日第4希望入学金締め切り

2月13日第1希望試験合格者抽選(代理人不可)

2月16日第3希望入学金締め切り

という日程で、第1、2は国立なのでお金もかからないが、試験に受かっても抽選があるというギャンブル的な要素もあり、不確実。なので、親としては私立を受けるのですが、第4志望は第一志望のくじの前日がお金の締め切りなので、第1の試験落ちた人はお金払うしかないけど、くじを次の日に引く人は大変悩むわけです。

残念ながら、というか幸いというか、私は絶対確実といわれた、第一志望を「試験」でおちたので、くじを引くという試練はなく、また、べらぼうに高い第4志望に行くよりは第3の女子校にしなさいといわれたので、払わなくて済んだのですが、結構、払ってる人がいるのです、毎年。いい商売だなあ。私が結局いった所は日にち設定が良心的といえば良心的かも。
学費をウン十万払った次の日にくじで国立に受かれば、良かったとは思えても、なんか悔しいかも。

元気そうな人

2006年3月14日 雑記
喘息はそれほどひどくなく、昨晩寝るころには呼気時の喘鳴は、きえました。ただ、今朝起きたら、声が出ない。夫の減らず口にも答えることが出来ず、うがいと、何度かの咳払いでなんとか、ささやき声より多少大きな声が出るになりました。

毎年、風邪をひくと全く声が出なくなるので、職業柄、本当に困ります。子供の泣き声に負けないだけの大声どころか、普通の声が出ないので。今は喉頭炎だと思うので一切しゃべらなければ声帯にも負担がかからないので治りも早そうですが、今日は外来もあるし、乳児健診もあるし、検診後の事後フォロー外来もあるし。ABRの説明もあるし、声帯が休まる暇がないです。

でもこんな声で説明してると、
「先生、お風邪ですか?気をつけてくださいね」
とやさしく声を掛けられる(内心、うつすなよ、このヤローと思っていたとしても)のは単純な私にとっては一服の清涼剤です。

私はちょっとしたことで体重が2,3キロは減ります、お尻周りや下腹部は全くびくともしないのに、顔から落ちていきます。今回も先週末からの花粉症→いつの間にか風邪パターンで3キロ減りました。
先日も半そでオペ着を着ていたら、私の腕をまじまじと見つめながら
「先生、40キロある?」と聞かれ
「えっ?!」と聞き返してしまいました。腕は枯れ木のように細いのです。普通丈のスカートから出る足も特に細くもなく、太くもない私ですが、体重は立派に50キロあります。それは服に覆われた部分(顔、手)だけが太らないからそう見えるだけなのですが、おまけに「不健康、病気がち」だから、=「やせている」と思われがちなんでしょうね・・・これ以上、病気がちと思われないように溌剌と活気みなぎり、綺麗な声を出し、結婚してプクプク太った夫のように顔だけは少し丸くなりたいものです。

夫は「全然、病気しなさそう」って言われるみたいです。実際、風邪ぎみでも1日で治るし。本人曰く、気合が違うらしい。
今日はのどがヒューヒューいってます。聴診上、呼気延長も認めます。
もともと風邪をひいていたところに、お葬式にでていたので、線香の煙にかなり刺激を受けたようです。久しぶりの発作です。こうなると、毎年1-2ヶ月くすぶり続ける私。
即効性を求めて、メプチン吸入、確かに良くなるのですが、根本的な治療にはならないし、テオドール200mg 2T飲んでも聞かない上に2日飲むと聴診器を持つ手が震えるので、今回は最初からまじめにフルタイド吸入で押し切ろうと思います。患者さんにはまじめに内服、吸入を勧めるのですが、自分のこととなると全く。不甲斐ないです。
花粉症もあるけど、風邪のせいもあり、鼻がつまってしょうがないのです。
鼻の下が切れてちょっと悲惨です。
ハナノアを買ってきてうがいをしてみたけど、完全につまっている左はうがいしようとしても、窒息しそうで、かえってつらくなりやめてしまいました。あれって生食だから買う必要はなかったか・・・
頭が重くて思考回路停止です。

こんなときは。

頭を使わなくて済む、時効警察を見てました。最終回までとても面白くて、DVDは予約しようと思います。特典映像とかついてるといいんですけど。
来期は私がひそかに楽しみに見ていた富豪刑事も始まるし。ああいう頭を使わない気楽なドラマがいいわ。

時効警察を見てて、「線路は続くよ」のピアノ演奏を聴いて、私は重い頭の中に
「マタイとマルコとルカ、ヨハネ。これらの4つは福音書♪」

これがぐるぐる回って気持ち悪い。
これは何かと言うと私が封印したい楽しくない中・高等学校の宗教の時間に歌った、「新約聖書の歌」です。
線路は続くよどこまでも、野をこえ山越え谷超えて(?)の部分に当てはめてみてください。
新約聖書の福音書の覚え方です。新約聖書は他、○○への手紙(多数)とヨハネの黙示録で構成されてますよ。
役に立たない雑学です。

宗教の時間、大嫌いだったなあ・・・

始業式と終業式の最初には聖歌を歌い、先生が「○○の福音書 第○章 ○節」から「ええ言葉」を抜粋して読んでくださるのです。心の貧しい人は幸いである・・・みたいな。
そう。聖歌集というハンドブックタイプの本もありました。そこから「ありがたい」歌を歌うんです。「聖なるかな」とか。これって全国共通なのかな。
あと、年末には全校生徒で「ハレルヤコーラス」をソプラノ、メゾソプラノ、アルトの女性3部合唱で歌うのです。女子高なので。私は今でも全部歌えるかも、ソプラノとメゾ。

6年間、なんだかんだ言いながら心のやわらかい時代に身についたものはなかなか体から抜けないです。
宗教の時間に居眠りしてたとしても、合唱の日やミサの日に、休みたいと思いつつ頑張って出席したし。

こんな程度の知識でダヴィンチコード楽しめるかな?

風邪ひいた

2006年3月11日 雑記
昨日から風邪をひき、のども痛いし、発熱。
インフルエンザも終わったようなのでそれではなさそうですが、今日明日の待機、当直はつらい。
妹が先日のティファニー君からプロポーズされたらしい。
そんな話を私は母から聞き、へえー、と思い、良かった!と思ったのですが、反応は人それぞれで。
父→どんより。母に「じゃあ40、50になってもあの子が一人ぼっちでもいいの?どっちがいい?」といわれ、そりゃあ結婚してくれたほうが。と思ったらしい。
母→家を新築して、茶室を作ったのは妹の結納のときに恥をかかないため、と思ったのに、間に合いそうもない、残念。
私→めでたい。と思ったものの式が国内の一般的なものになりそうなことに落胆。
夫→どよーん。何を言ってもどんより。

親族としてでた結婚式(妹、義兄)が海外挙式ばっかりで、一般的な結婚式出たことないので、私はどんな服装か調べてみた。黒留袖、年齢的には色留袖でも可、という認識だった。
いろんな掲示板を見たら、「黒留袖までは着なくていい、母とかの年齢ならそれがいいけど」、とか、「いやいや、黒留袖が正式だから、25歳でも黒留袖にした」、とか、「紋が入ってないといけないから買う」とか「買ってもそんなに着ることない」「レンタルでもいい」とか、意見は色々。
難しい。
この結婚式の服装って色々見てたら、
「チャイナ服はだめ」「アオザイ駄目」という意見もあれば、「それもいいかも」という人あり、「ミュール駄目」という人あれば、「最近はミュールもいい」とか。「黒が無難」といえば「黒ばかりだと葬式みたいだ」とか。
要は、出る人たちと足並みそろえろってことらしい。

しかし、相手が長男で、妹がいるらしいけど、その子は独身で振袖年齢らしいし、参考にならないわ。あっちのお母さんが黒留袖をかっちり着てないのに私が黒留袖を着てしまうとまずいみたいな感じかな、足並みをそろえるというのは。

だから海外でさくっとやってくれたほうが楽なんだけど。

私と着物というのは大変相性が悪い。しっかりしたいかり肩で、とても華奢ではない私。自分で言うのもなんだけど、イメージとしては黒革の手帖とか、女系家族にでてる米倉涼子の着物姿を想像してほしい。ちょっと悪女っぽいぞ、結婚式なのに。
そんな感じで多分、着物着ないので買ってもしょうがないし、レンタル着物か、常識はずれかもしれないドレスになりそうかも。
注意されるのが好きな人はいないとは思いますが、私は人に注意されるのが大嫌いです。特に父親からいわれるとものすごく腹が立ちます。

こんなので、一緒に開業できるのかしら・・・・

悪いと指摘された所は、半分程度は理解できますが、客観的に見て私が100%悪いかというと、そんなこともないようなことで昨日はケンカをしたので、今日はかなり気分が悪いです。
夫とのケンカや母とのケンカは数秒後に和解するんです。相手が忘れやすい、および、忘れたふりをしているだけかも知れないけど。こっちもやりやすい。

しかし、父と私はものすごく似ているのでけんかをすると、しばらく口を利きません。どっちかが折れるまで。大抵は最近、歳をとって丸くなった父が折れますが。

本当に気分悪いので、2日連続で飲み会、勉強会もあることだし、しばらく実家には帰らないことにします。

この気分の悪かった出来事を昨日書こうとしたら、家のネットの調子が悪くかけませんでした。でも幸いだったかも、昨日だったらかなりダークな日記になっていたかもしれませんが、今日は何か落ち着いてきたので。

かつての勉強

2006年3月7日 雑記
今日は公立高校の試験日のようです。
職場にいる受験生の母たちはソワソワです。

先ほど、テレビをチラッと見たら、解答速報みたいなのをやってました。ちょうど数学だったのですが、
「中点連結定理を用いて・・・・」
とか
「三平方の定理を用いて・・・」
など。懐かしい。中学数学程度なら何とかなりそうかも。
高校数学は既に駄目ですけど。
せっかく勉強したことが何も残ってない、とセンター試験のの時には思う。
sin,cosなどは見ても全く覚えてないし。
微分積分も覚えてないし。
行列とかも覚えてないし。

でも今日の高校入試は社会も結構分かったし、ちょっと気分がよかったです。

2006年3月6日 雑記
色というのは難しいものです。

まず、悩んでいたシステムキッチンの色。
うちの夫が行けるというので、一緒にショールームに行ってみました。私は基本的に黒が好きなのですが、展示している白も素敵で、こりゃいい、と思って、気持ちは白に傾いていたのです。
しかし、白をみて夫。

「かあこちゃん、あなたも歳をとるんだよ。40になったとき、僕とあなたがここに立っていたら、おかしいでしょう」
といわれ、
想像。

うーん、白は新婚の色か。

パステルカラーも私が嫌いなので、あとは黒か赤か、ダークな茶だね、と。

もう少し迷ってみたい。

日記の配色を変えようと思い、ずっと青だし、春っぽくしよう、と、桜色でグラデーションしてみたら、ものすごく違和感。なので、暖色系、ということで、橙色系にしてみました。これもしっくりは来ませんが、ピンクよりはましかな。
今日はお休みだったのですが、きちんと昨夜は12時には寝て、8時には眼を覚まし、母と約束していた岩盤浴に行ってきました。
母は初めてだったのですが、
「すごく、いい。あったまるし、汗もかけるし」
とすっかりはまりそうで、友人とまた一緒に来よう、と言ってました。

その後、サンウエーブのショールームに行き、キッチンを見てきました。思わぬところにポケットが合ったり、シンクも広いし、IHヒーターだし。
これならきっとちゃんと料理するはず。そう何度も行けなそうなのでおおむね、決めてきました。

あとは色は悩むことにします。
濃い色が好きなのですが、白のほうが手の脂とかの型がつきにくいことなど、体験してきました。

見てみないと分からないものですね。

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