UFOキャッチャー

2005年7月19日 雑記
ガチャピンとムックのぬいぐるみがとりたくてはじめたのですが、つかんで運ぶ途中に二回落下。結局小さいやつしか取れませんでした。

かなしい。

久しぶりに嬌声をあげて楽しんだって感じ。

ショックなこと

2005年7月16日 雑記
久しぶりで。

故郷

2005年7月14日 雑記
小さいころから、引越しが多く、頭が優秀でなかったので隣の県の大学に都落ちし、医局に入るためにまた移動、研修のためにまた移動を繰り返したため、引越しの回数が多いかも。
0-4歳 九州A県
4-5歳 中四国B県
5-9歳 また九州A県
9-18歳 中四国C県(県内一回引越し)
18-24歳 中四国D県(県内一回引越し)
24-3ヶ月 中四国E県
24-25歳 中四国F県
25-28歳 また中四国E県
28-   またまた中四国C県

西日本をぐるぐる移動している生活。しかもどんどん田舎になっている。

ですが、そこそこどこの土地にも愛着があって、テレビで地元の風景とかが写るとつい手を止めてみてしまいます。それと、その県出身の人なんかがいるとものすごく応援したくなります。
ちなみに愛着あるN01・2はA県、C県なんですけども、特にお笑い芸人とかしゃべるのが職業の人に対しては、とっさに話す言葉に訛りを感じて、たまらない愛着を感じますね。

人違い

2005年7月13日 雑記
朝、通勤時に整形外科の前を通ると、私服の私に向かって
おじさんたち(患者さん)から「おはよう」(笑顔)と手を上げて挨拶。
一人じゃなく、複数の人からも言われ、毎日違う人から声をかけられる。
小児科の私にはおじさんの知り合いはいない、でも「患者さんのおじいちゃんかもしれないし」とむげにも出来ず、「おはようございます」とはいうものの、解せない。
挨拶するのも面倒っていうかなぜ、おじさんたちはため口なんでしょうか。
ちなみに白衣の時は別になにもいわれない。

と思っていたらリハビリに私に似ている人がいると、リハビリに行ってる小児科の患者さんに聞いた。この病院に私と同じような人いたかしら?と思っていたら、その子とお母さんは「髪とかシルエットとか似てるかも、雰囲気が。でも見間違うほどではないですよ」

そう思っていたら廊下で発見。
確かに髪型とか背格好がにてるかも。顔はあまりみれなかったけど。白衣は私と違って上下とも白衣だったから、白衣だと見分けられるのですね。

つまり、整形のおじさんに挨拶をしないと、私の評判ではなく「リハビリ」の人の人物評が下がるということなので、これからもしないといけないですね。まあ、基本は挨拶と笑顔ですから、当たり前ですが、知らない人に手を掲げて挨拶というのも内気な私は難しいので会釈だけに。
しかし、きっとリハビリの私のそっくりさんはおじさんたちのアイドルなんでしょうね。みんな、すごくいい笑顔で挨拶してくれるので。
たぶん小児科の患者さんとお母さんはまだ、目が若いので見分けが付くと思うからリハビリの人に私と思って話しかけることはないと思いますが、話しかけられたら愛想よくしてくれてるだろうなと思ってます。

いつの間にか

2005年7月11日 雑記
首の腫れは消失していました。
疲労のせいか。

看護師さんに「先生、私も腫れたんですよ」といわれ、どっきり。皆に移した?
多分、ウイルス性だったと思うけど。
私も誰かにうつされたんでしょうかね。

運転

2005年7月8日 雑記
私は大学1年18歳の夏休みにとり、大学が田舎で車がないとどうしようもないから、振袖いらんから車買ってくれと頼み、すぐに乗り始めたのでちょうど12年の運転暦。
運転が荒いのに・・・どうしてあんたが、といわれますが、飲酒運転は一回もしたことなし、駐車違反とかもしたことない。これは本当。無事故無検挙のためゴールドです。信号スレスレわたりとか、運よくつかまってないだけ。スピードもたまたま見つからないだけ、というのもあります。
運転してると人格が変わるまでは行きませんが、この気性がさらに荒くなります。トロトロ制限速度スレスレで走る車は朝の忙しいときはビタアーッとくっつけてパッシングしてやりたい気分をぐっとこらえます。
しかし一番腹が立つのは車庫入れが遅い車でしょうか。先日、病院内の駐車場にとめようとしたら前の車がなかなか止められなくて遅い。いらいらしながら憮然とした顔でにらみ続け、少し車がひっこんだところでいやみったらしく、ぐいーっと迂回して先に進んでやりました。でさっさと車庫に入れて、夫と車からあるいてたら、そのノロ車から男性が降りてくるのが目の端で見え、会釈をしてるので「ああ、夫の患者さんね」と勝手に思っていました。

そしてある日、回診である部屋に入ると昨日見た男性が子供をあやしている・・・・
病気で入院しているお子様のお父様だったのです。

ああ、なんてことを。わたし、こんな狭い町でどこでだれに見られてるかわかんないって、あんなに注意して生きてきて、化粧品コーナーで化粧落として体験購入するのも遠くに出かけてたのにさ。こんなお膝元で油断するとは。やられました。

久しぶりに勉強

2005年7月7日 雑記
相変わらず首は痛い。けれども血液検査はCRP0、ほかも何も異常なし。WBCは3000で少し少ないけれど、日ごろ健康なときにも4000前後だから。この検査結果では休めない。仕事しよう。

試験勉強でもしようかなと、小児科学会雑誌の2年分の生涯教育シリーズを引っ張り出して2回分といてみた。
20問あるけど、16点、17点と問題なし。でも自信満々に答えて正解したのは半分くらい。あとは組み合わせで適当に。まずすぎる。

ごあいさつのみ

2005年7月6日 雑記
疲れてるので秘密のみ

群馬大学

2005年7月6日 雑記
onliebnさんのリンクされてる記事を見てきました。

個人的な感想としてはこの女性はうちの母と同じ年なんです。
そういう年の人が医学部うけようとして国立の医学部に受かる学力を持ってたというのはすごいことだと思う。
記念受験で受けに入った私立の医学部は一見50くらいのおじさんが受けに来てて、私はものすごくびっくりした覚えがあります。
私の行ってた大学は再受験者が比較的おおい大学でしたが、年上の彼ら彼女たちは勉強に対してまじめで、講義も実習もちゃんとやってました。成績優秀な人も多かったし。だからモチベーションも高くて18でぼーっと医学部はいる私とかに比べたらはるかに目的意識が高くていい医師になろう、って思ってたと思います。
この方もたしかに高齢者の医療について疑問を感じて自分で志そうとがんばっていたわけです。それはいいことなんではないかと。

でも、私、今年で31になりますが、確実に体力、低下してきてるなあと思います。ここ3日夜中に呼ばれる生活が続いてますが、体力の回復が24歳の1年目のころと全く違う。働けないほどひどくはないですが。根性ないので私は多分56歳ごろには開業医になって当直しない生活をしてると思います。小児科でも男性ですが、部長クラスの定年まで2年の先生は月1の当直でも疲労困憊で見てられなかったもんなあ。

確かに科によっては可能かもしれないですが、ちょっと現実問題厳しいかなあ。研修医期間は尋常じゃない生活だし。所詮医者はまず、体力だと思う。頭も人間性も豊かであることももちろんですが。

理由を「としだから」で明文化すると非難されるだろうとは思うけど、国の税金を使って医者になってるわけですから、ちゃんと元がとれる医者を養成したい、という考えも間違ってないと思う。どうするのが良い方法だったんでしょうか?

体力テストとかするんかな?あなたの肉体年齢は何歳です、みたいな。私、やばいかも、今日なんかは確実に50歳くらいのようなきがする。
とこれは冗談ですが。

どうやって収集つけるんでしょうか?

エゴグラム

2005年7月5日 雑記
で、今思えば、エゴグラムだろうと思われるテストを高校生でやったときはacbcaパターン。あえてこのパターンで回答してみると
虚無的なタイプです。元々が冷たい性格で、趣味や娯楽に熱中することも無い、根暗なタイプなのですが・・・ こんな感じの子だったような。高校嫌いだったし。

大学のとき、エゴグラムを医学祭のどっかのコーナーでやった際はCP・ACがすごく高くて、NP・Aはそこそこだけど、FCがものすごく低いってことでabbcaパターン。そしてこれもあえて回答してみると。
責任感や規則に厳しく支配され、そこから来るプレッシャーと過敏性性格から来る「イイ子になりましょう」式の生きかたによって生じる対人関係の気疲れから、本当の自分は一体どこに在るのか捜し出すのに一苦労する様なタイプです。この2回ともACが高いのにFCが低いってことで「何か我慢してる」という評価だった気がする。。。抑うつされてたのでしょう、そのときは。

今回はbaabc。FCがあがって、ACがぐっと下がった状態。
1、性格
平均的な宗教家タイプに、もうちょっと厳しい批判力と、大幅な気儘さ頑固さが、加わったタイプです。基本的な性格は、思い遣りや同情心が深く、分析力や判断力の高い合理主義者ですが、かなり気儘や頑固な行動も目立つ、マイペース主義者です。
2、結婚恋愛
貴方は、恋人や配偶者に対して、かなり自分勝手な行動を取る方では有りますが、思い遣りや同情心が厚く、人情味に溢れた性格なので、それによって相手を失うような事は、余り無いと思います。どちらかと云うと、仕事よりも家庭を重視するタイプで、気儘や頑固な所は有るが、結構、家庭の為には労を惜しまないタイプだと思います。今後は、もう少し配偶者や家庭の意見を取り入れた、生き方に進路変更出来れば、家族関係は万全でしょう。
3、職業
医師、看護婦(師)、助産婦、保健婦、保母(父)などが最適職ですが、宗教家、カウンセラー、ケースワーカーなどの素質もあるでしょう。警察官、刑務官、自営官、検事、判事、弁護士などの職業は出来るだけ避けるべきでしょう。科学者、エンジニア、コンピューター技術者、プログラマー、キーパンチャーなどの仕事も性格的には、余りお勧め出来ない職種です。貴方に最も向いているのは、何処かに問題の有る人々の面倒を見る仕事のようです。

適職。しかし、何処かに問題って、体の調子が悪い人を見るのは好きだけど、不定愁訴の子を見るのはいやなんですが。

多分明日したらまた違う結果だと思う。  

秘密を抱えた女

2005年7月5日 雑記
といっても私に関する秘密ではありません。

最近、妹(彼氏ができたばっかり)がやたら家に帰ってきます。
週末、彼とデートばかりして帰ってこなくなってた妹が。
もともと、交際を快く思ってない母は
「まあ、別れたんじゃないの」とほくそ笑んでました。
私はストレートな人間なので妹に直接
「最近よく帰ってくるけど、別れたの?」と聞くとなんだか言葉を濁すので
「バーゲンだから帰ってきたんだね」と助け舟を結局出してそれ以上の追求をしなかった私。
でもその質問をしたときのわが夫の「何ともいえぬ表情」に私は気づいたのです。

で、今日、当直から帰還した私は
「あんた、何か知ってるね」とカマをかけるとあっさり陥落。

彼は転勤になり、遠くに行ってしまった、今は遠距離で妹も仕事があるので行くことができずこっちに帰ってくるんだ、ということ。そして妹は以前から仕事をやめてこっちに帰るといって親を喜ばせていたんですが、やっとやめることになりました。ここまではいいのですが。
彼が今月中に転勤先から「ご挨拶」に来る。

仕事をやめた妹はどうもあっちについていくという気持ちがあり、こっちに帰ってくると思い込んでいる父母、および父母に近しい私にはとてもそのことが言えなかった、けど他人のわが夫にはしゃべったらしいのです。

夫はわたしにしゃべって気が楽になったらしいけど、このことを聞いた私は父母にはいえない。黙っておくのもつらいけど言うのはもっとつらそうなので、もちろん私は聞いてないことにします。こうして日記に書いてストレス解消。
母はきっと荒れるだろうけど、彼女のことは私はそんなに心配ではなくて、何も本人たちにはいわないであろう父のことが心配です。不整脈が悪化するのでは?ぜひ彼が来る日には除細動機を病院から借りてスタンバイしておくように夫に伝えておいた。

これで父母のそばにいるのは私だけになりそうです。はやく孫でも作ろうかとそろそろ真剣に考えます。

首の腫れ

2005年7月4日 雑記
昨日から右の頚部のリンパ節が腫脹し、結構痛い。熱もあるし、頭も痛いので当直中から24時間の間にロキソニンを6錠ほど内服。そのせいで熱は引いたけど頭痛と局所の疼痛は引きません。

「リンパ節だと思うんだけど」
というと、
「耳下腺よ。可動性もないし」と夫は言うが、耳下腺とは場所が違うような気がする。
まあどっちでも。抗生剤飲んで効くといいけど。

早く寝ればいいけど痛くて寝れずネットをしているおろかな私。

ただただ疲労困憊で「休みたい」って思うから病気になるんだ、痛いんだとも思ったり。
ロキソニン我慢して飲まずに朝熱があったら休もうと思う。でも休む勇気がない。
無難な話題としては天気、ニュースの話がよいらしい。
うちのポリクリの班もそんな感じでした。
うちの学年からポリクリ班が成績順になり、学年でどうも2番目の班になった私。
この班が微妙なんです。
女子3人。

Aさん(再受験生、女子の最年長)
Bさん(現役、地味系)
男子3人。
Cくん(現役、KABAちゃん系)
Dくん(現役、小心者)
Eさん(留年生、よく分からない)

休憩時間の話といえば
E「今日のどっちの料理ショー、どっちが勝つかなあ?」
B「私、絶対、うなぎだと思いますよ」
A「私も」
みたいな話が延々。
その横で
D「C、さっきみたいな言い方は、先生に印象悪い。うちの班全体が悪くなる。口頭試問おちたらお前のせいだ」
C「そんなあ」
大学時代の仲の良い友人が別のところでブログを開設した、と聞き、「私も3年前くらいからこっそり日記帳代わりに書いてる」と答え、「私のも教えようかな・・・」と思ったのですが、彼女は、ほぼ毎日更新してて、私よりも世の中に役立つことを書いているので恥ずかしくて。この駄文をどうどう公開する勇気がない。偶然見つけたら「ああ、これがかあこの日記か」とこっそり思ってね!と言いました。

彼女は大学時代のこととかを時折話題にしているので昔の事を思い出せるし、私としても日記のネタになって良い刺激になります。

解剖実習のことを先日書いてました。

解剖実習は通常3年生のときに一年かけて4人で2体ということになっていました。二人一組で前期に上半身、後期に下半身、もう片方はその逆の順に。しかし、下の学年から教養が1年間になり2年生のときに解剖をするってことになりました。。ということは私が3年、下の学年が2年のときにご遺体が倍必要になる、ということになります。
それでは追いつかないのでうちの学年は4人で1体を前期で終了、後期は2年生が4人で1体を解剖、ということになりました。

うちの班はAちゃん(女子)、B君(男子)、C君(男子)と私の4人でした。
ご遺体が怖い、とかそういう感情はなかったのですが、解剖学のラテン語は難しかった。そんな感じで私は解剖学が苦手でした。それに、初めて「医学部入った」という実感と重圧みたいなのもあり気が重かったのですが、Aちゃんは非常に学業が優秀でまじめ、その彼女と組んだので課題はスイスイ進み、大変、助かりました。B君もC君も話しやすいし楽しく半年が過ごせました。口頭試問の日に寝坊してぎりぎりだったことも良い思い出です。
解剖のときは解剖専用の前掛けはしてたのですが、そのとき下に着てる服をいちいち着替えるのがめんどくさかった上に、遅刻ぎりぎりに来る私はそのまま私服の上に着てたことも。いつもそれなりに汚れてもいい服にしてのですが。おしゃれな子はちゃんと気をつけてたけど。

夏休み、久しぶりに家に帰ると母が
「あんた、変なにおいするし、ここなんか付いてない?」と言って服を指差す。

でももうその匂いになれた私は全く気づかなかったのですが、解剖の日に来た服、しかも洗濯したのに・・・・確かにしみが。
「これ、脳実習のときの服だ!」と母に言うと
「キャー」と突き飛ばされてしまった。

夏休み、実家でしばらく過ごし、大学そばの自分のマンションに戻ると
「あー確かに何か解剖チックなにおいがするかも」解剖室に持ち込んだ本とかがにおうらしい。勉強のために持ち帰ったので。

後期になり二年生が解剖実習のころになると、たしかに二年生が食堂とかに大量にやってくると独特の香りがしました。

鼻って慣れるものです。嗅覚も記憶が残るみたいで解剖、を思い出すとあの甘いような「ホルマリン」の匂いやゴム手袋を通した触った感じも思い出されます。

わけわからん

2005年6月30日 雑記
かなり前のある日曜日の午前中、
「耳がいたい、中耳炎だと思う」
という主訴が問診に書かれた男子が父親に連れられてやってきました。
耳鼻科ではなく小児科なので中耳炎だとしても切開などの処置はできないので今日はとりあえず痛み止めと抗生剤を出すだけで明日、耳鼻科に言っていただきたい旨を説明の上、診察を開始。

耳鏡で耳をのぞくと
耳垢いっぱい!
鼓膜なんて見えません。

「耳掃除はされてますか」と聞くと
「知らん。きたないんならとってないんじゃないか」

「鼓膜がよく見えないので中耳炎かどうかは判断できません、痛いようなら抗生剤と痛み止めを出しますが。」

暑い

2005年6月30日 雑記
エアコンのフィルター掃除したら涼しくなりました。
手間はちゃんとかけないとだめですね。

パソコン壊れた

2005年6月26日 雑記
昨日、パソコン使ってたら、動きがいつも以上に鈍くて、おかしいとは思っていたけど、今日は立ち上がらなくなった。
リカバリかけるしかないですね、とパソコン屋の人にも言われ、
もともと、家用のデスクトップを買おうかと思っていたので、見てたのですが。
どんどん小さくなってますね。私が大学4年のころかったWindows95のパソコンはものすごくでかかったのに。
見てるうちにどんどんほしくなり・・・

ついに買ってしまいました。Vaioのデスクトップ。
快適。

彼のパソコンも既に3年前購入のものが3ヶ月前に壊れ、大変ショックを受けていたのですが、小さいノートを購入してました。あまりの価格の安さに財布の紐が緩んだ、って言ってたけど、
「いったい、いくらすると思った?」と聞くと、
「これくらいのは40万するかと思ってた」

でも私のパソコン、大切なデータやアドレスはちゃんととってあるのですが、内容とかまでは取ってないし、思い出が消えるようで悲しい。

なまり亭

2005年6月22日 雑記
今日はマシューの番組、なまり亭やっとる。
時々見るけど、近い地域の人や転勤で住んどった土地のゲストだと「あー懐かしい」ゆぅて思います。

と、ココまでの文章はバーチャル〇〇くん、っていうところでかつての地元の言語に翻訳してみました。県の西と東でだいぶん違うので、少し、手直し。

私は小さいころから親が医局に所属せずに自分で行き先を決めていたので、生まれたのは北九州、それから、小学校の時に現在地に転校してきました。「言葉が変」と少し、距離を置かれたりして。しかも、田舎にきた、というショックの大きかった私は溶け込むまでにひと悶着。
「仲間に入れて」を前の小学校では「まぜて」とか「いれて」だったのに、こっちは「よして」って。
じゃんけんの掛け声「じゃんけん、どっこいし」⇒「じゃんけんでほーい」
天の神様の言うとおりのしめの言葉も違ったと思うけど、詳細を忘れてしまいました。
でもおかげで小学校の引っ越してきた年の夏休みの自由研究は方言研究でお茶を濁すことができました。

中高はとなりの市にいきましたが、そこはまた隣の県の影響が強く、同じ県なのに方言が違う。でも仲の良かった子が東京帰りの子だったのでそれほど、方言に染まらないまま・・・・

大学にはまた色んな地方の人がおおかったですが、大学の県の方言も結構、強烈でした。どことなく、うちの地元に似てるような、でももっと小さい頃に使ってた九州のことばににてるような。やはりいろんな地方の人と話す挙句、それほど、地域色の強くない言語のまま、6年間過ごしたつもりなのですが、東京の子に
たう、って何?どういう意味?」
分かる人は私のご近所さんでしょうか?
海の中で「足がたわん」といえば、「足がつかない、届かない」というような感じです。これが方言とは指摘されるまで知らなかった。

医者になってからは強烈な方言の地方にいきましたが、あまりに類似点がないのでうつりませんでした。
で、地元にもどり、臨床一筋な生活してるとあんなに大嫌いだった方言が「いやっていうほど」すらすら出るようになりました。
たまに会う、大学時代の友人にも「思いっきり、方言になったね」とびっくりされます。

なまり亭でカード見て3回目に標準語答えるゲームしたら
「足がたわん、足がたわん、足が・・・たわない!」と絶叫してそうな気がします。
    

出張

2005年6月20日 雑記
私が病院、医院以外に行く事はめったにありません。
市の健診に行って子供を見ることくらいです。あと、最近ないけど、集団の予防接種とか、市の体育館みたいなところに行きます。
あと、献血ルームもいったことある。
それと大人の健診に昔は派遣されたらしい。
(でも小児科ですから大人の健診は流石になくなったみたいです。)
私の場合は小児科なので派遣場所が限られますね。

私の知り合いはとある、テーマパークの医療班としてバイトにいったことがあるそうです。
患者さんが来ない時は自由に館内どこにいてもいい、と言われても乗り物乗ってたらまずいっしょ、ってことで大したものはみれないらしい。で、患者さんが来ても家の救急箱程度らしいし、治療は「病院」に送るらしい。そういうのだったらできそうかも、わたしでも。

また別の人は、とあるチームの球場に救護班として行ったそうです。ファールボール当たった人とか、アルコール中毒になった人とか、医療が必要な人は病院送りすればいいらしい。
それなら私もできそう。

なくなった薬

2005年6月20日 雑記
私の病棟にはあまり循環器が入院する事がないけれど、病棟が開いてなかったせいか、先週末から一人入院しており、主治医は夫。
電子カルテなので「ふーん、このひとこんな病気なのか・・・」と見ていた。

今日、病棟で患者さんに症状説明をしていたら、不機嫌そうな顔(に私には見える)の夫が詰め所にいて、何ごとかを看護師さんに話したあと、出て行った。

これはもしや、と思っていたら。
「〇〇(循環器)病棟から、@@@@のことで電話」と担当看護師が呼ばれ、出たあと
「転棟だって、今から」(17時)
とあわただしく準備を始めた。

家に帰って
「あんた、うちの看護師さんが何かしたんでしょ」というと。

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